Untitled Document
 
 
HOME > 觀光館 > 康津歩き > 文化財 > 天然紀念物


 

* デグ面 椋の木


指定番号 : 天然記念物 第35号
指定日 : 1962年 12月 3日
所在地 : 康津郡 デグ面 サダン里 51

500余年前に当山に高麗青磁窯址があったが、この辺りに伸びた木が残ったもので300余年前暴風で原幹が倒れ下方から出た萌芽が伸びたものだと言う。

地上87cmの高さから6個の枝が殆ど同じ太さで発達して高さ16mに育った。下方の胴まわりは8.16mで中部分は腐り、その周りに発達した枝が四方に13.4m内外で広がっている。

神木として10余年前まで村で祭祀を執り行なっていたが、今は中止している。祭祀を執り行なう時の祭主の苦役は他の所と同じく、祭主になるのを非常に憚ったと言う。7月7日に村人が集まって木の管理問題を議論する。木の保護に係わる伝説では、ある木こりが枝を切って急死したという話がある。


* ビョンヨン面 かやの木


指定番号 : 天然記念物 第39号

指定日 : 1962年 12月 3日

所在地 : 康津郡 ビョンヨン面 サムイン里 376

このかやの木は樹齢約400年で高さ10m、胴まわりが5.2mである。北向の傾斜地にあり、周りには竹林があって下には 紫エゾキケマンが育っている。前から見る時には地上1.87mから大きな枝が長く伸び、裏側の枝は短く両の枝は同じくらいに育っている。一番大きい枝の下部のまわりは2.6mにもなる。

太宗17年に全羅兵馬節度使営をここに決めた時、使える木はすべて切ってしまったが、この木は曲がっており背が低くて役に立たなかったので残され、現在に至ったと伝わる。李氏朝鮮500年の間、湖南地方の防御陣地だったビョンヨン城が甲午動乱で東学軍に陷落され、遂に廃営されるまでこの辺りには多くの兵士がいたが、実を条虫駆除に使うため、しっかり保護されて来たように思われる。 


* ベクリョン寺 椿林


指定番号 : 天然記念物 第151号
指定日 : 1962年 12月 3日
規模 : 3ha
所在地 : 康津郡 ドアム面 マンドク里 山 55

ベクリョン寺の前につばきの森が所々自生しており、かやの木、朴の木、椋の木がそばで育っている。また下にはお茶の木がある。

3haの面積には7,000余本の椿が自生し、2〜3月には椿の花が満開となる。

ベクリョン寺は康津邑から4km離れたマンドク山にあり、高麗時代ウォンミョ国師がベクリョン(白蓮)結社を起こした由緒有る寺社である。つばきの森を過ぎてタサン草庵に向かう一本道があるが、この道は昔タサンがベクリョン寺を往き来する時に利用した道だと知られている。


* カマク島 常緑樹林


指定番号 天然記念物 第172号
指定日 1966年 1月 13日
規模 カマク島 一円(4,380坪)
所在地 康津郡 マリャン面 マリャン里 山191

カマク島はマリャン里潟から200m前方の海辺にあり、引潮の時は歩いて行くこともできる。前から見ると朴の木の森のように見えるほど朴の木が一番多く、胴回り80-85cm、高さ10-12mの朴の木が林を形成している。

落葉広葉樹ではくぬぎ、あべまき、えのき、水蝋の木、針桑、山椒、冬山椒 、のばら、はぜの木、赤芽柏、椋の木などが育つ中でヒドリジョウゴ、蔓梅擬、ヤイトバナ、 ヤマカシュウ、山帰来、蔦、野葡萄、青葛藤及び忍冬葛があちらこちらに散らばっている。

海辺には海辺植物としてよく見られるハマシオン、ハマアカザ、松菜、ハマヒルガオとハマサジが見られ、稀な種類として南燭の群落がありチョウセンニワフジとサツマハギが育っている。また角には松も何本か見え、林の中に入って行けばノシランとともにマメヅタの木の下や岩に付いて育っている。


* ビョンヨン銀杏の木


指定番号 : 天然記念物 第385号
指定日 : 1997年 12月 31日
規模 : 2,825u(855坪)
所在地 : 康津郡 ビョンヨン面 ソンドン里 70

ビョンヨン面の銀杏の木は康津邑から北東に14.8q離れたビョンヨン面所在地にある。この地域は高麗時代にドカン県の県庁があったところで、李氏朝鮮 太宗17年(1417年)にビョンヨンを設置し、兵馬節度使を置いたところでもある。

ここから銀杏の木は約500mほど離れた距離にある。銀杏の木はドンソン村の中央にそびえて村の象徴の木となっており、樹高30m、胴回り6.75m、幹の幅は中心から東側に16.5m、西側に13m、南側に10.9m、北側に3.5m伸びている。銀杏の木(Ginkgo biloba)は銀杏科に属し、中国が原産地の落葉喬木で長寿の木であるが、全羅南道和順イソ面の銀杏の木も天然記念物に指定されている。木の大きさが村の歴史性から見る時、樹齢は500年前後となるようである。

伝説によると、昔ある夏の季節に暴風が吹きすさび、大きな銀杏の木の大小の枝がたくさん折れてしまった。これを見た兵士が折れた大きな枝を城内に持ち込み、これで多くの家具を作った。この時木の枕も作りこれを兵士が使うようになった。ところが一体どうしたことだろう。

この木枕で寝た兵馬節度使はその日に病になりうめくようになった。いかしどんな有名な医者も病の原因を突き止めることができなかった。百薬が効かず最後には占い師を呼んで加持祈祷させ、占いもさせると木枕を兵士が使ったのに原因があるということだった。そのため、枝の折れた銀杏の木に祭祀を行ない、木枕を再びつなげるとその兵士は全快したという。そして、占い師の言葉に従いそのままにしていたら兵士の病はすっかり治った。いまでも銀杏の古木を良く見ると木の枕が入っているかのようにへこんでいるところが見えるという。



Untitled Document
Untitled Document