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HOME > ハメル情報館 > ハメル一行と 外交關係 > 送還交と國際關係



朝鮮に漂着したオランダ人たち(ハメルが脱出した後に、朝鮮に残っていたオランダ人=朝鮮残留オランダ人)が日本を経由して本国に送還されたという事実は、当事者である朝鮮とオランダとの間の直接的な送還ではなく、日本という第3国を通しての送還であった。これは、当時の国際関係または漂流民の送還方式を理解するのには非常によい例である。 

彼らが送還されたのは、オランダと朝鮮の間に国際関係(または外交関係)があったために成されたことではない。  それはオランダと日本の間に国際関係が成立されていたからである。 

また、朝鮮と日本の間の関係も送還の前提条件となる。 

言い直せば、漂流民の漂着地がその漂流民が所属する自国と直接的な国際関係がなくても、日本という第3国を通して本国に送還が可能であった、但し、第3国と漂流民の自国と漂着した国家との国際関係が不可欠な成立条件となる。 

このような漂流民の送還と国際関係との構造を図式化すると、下のようになる。

朝鮮残留オランダ人7名も、このような朝鮮と日本の国家権力が存在したので日本からの送還が可能であったのであり、国家権力以外に日本と朝鮮、日本とオランダという直接的な外交関係の1つの形態として国際関係が存在していたので、彼らのオランダ本国への帰還が可能となったのである。 

日本とオランダとの間に漂流民の送還体制が整備され始めたのは、1643年以降であった。 

即ち、1643年にオランダの船舶であるブレスケンズ号が山田に漂着した事件以降に、幕府はオランダ船の漂着に対する処理の基準を作ったのである。 

ブレスケンズ号事件以前である1627年のJ.J.Weltevre(朴淵:パク・ヨン)が朝鮮に漂着した当時には、朝鮮政府が倭舘に彼を引き取るように申し出たが對馬藩でそれを断わった。

その当時に、オランダと日本の間に国際関係があったにも関わらず引き受けを断わったのは、朝鮮と日本間に「漂流民の送還体制」が定立されていなかったためであり、またオランダと日本の間にも「漂流民の送還体制」が整備されていなかったためである。

しかし、1653年のハメル一行に対してはむしろ日本側が送還要請をしている。 

それは、オランダ人が日本ではなく朝鮮に漂着した場合であったとしても、オランダ人が残留していることを確認した以上は放置しておくことができなかったからである。

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