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HOME > ハメル情報館 > ハメル一行と 外交關係 > 脱出関連者の処罰



長崎のハメル一行の脱出事件と、彼らに対する尋問の結果が幕府に報告され、中から朝鮮にこの脱出事件について問合わせるようにとの指示が下された。 

ハメル一行の脱出事件に対して幕府からの問合わせがあるはずであるという情報は、当時の渡海訳官士であった金謹行(キム・クンヘン)と差倭との問答により朝鮮側に伝えられた。 

このような日本側の情報漏れが故意であったかどうかについては断定できないが、少なくとも日本側の問合わせを事項を朝鮮側の訳官が倭館に入館した時に伝達することによって、大きな問題が生じないようにするという意図があったと思われる。またこれは、朝鮮政府に問合わせ事項を事前に伝えて、便宜を図るための行動であったと推測される。

朝鮮では、ハメル一行8名の脱出を、彼らを分散させておいた管轄の地方官庁からの報告ではなく差倭から知らされたので、朝廷は驚くばかりであった。 

即ち、東?府の報告があるまで朝廷はハメル一行の脱出を全く知らずにいたのである。 

脱出報告を聞いた翌日の『承政院日記』顯宗7月10月辛未條によれば、備辺司は、ハメル一行8人が日本の五島に脱出したにも関わらず、まだ地方官吏からの報告がないことに非常に驚き、脱出事件の真相を調査して処理すると進言している。 

全羅左水使のジョン・ヨンは、1666年4月20日から全羅左水使に任命されたが、ハメル 一行の脱出事件の責任を負い罷免した。

また順天(スンチョン)の場合には、チョン・セヒョンが府使として赴任していたが、脱出事件が起きたのはチョン・セヒョンが新しく兼官に命じられた翌日であったため、彼の罪とはし難いとの顯宗の意見により彼は処罰から免れた。(『顯宗実録』顯宗7年 12月 其未兆)

 しかし顯宗は、8・9月に再任していた官吏については、脱出事件を最後まで報告しなかったという理由で処罰するように命じた。即ち、ハメル一行の脱出後に順天に赴任した府使が、中央に脱出報告をしなかったことにより処罰されたのである。 

南原(ナモン)の場合には、脱出者がいなかったので問題はなかった。

勿論、南原を除いた左水営と順天の担当色吏などが処罰されたということは言うまでもない。 

そして、ハメル一行の脱出事件に関連する朝鮮内部の問題処理は一段落した。 

しかしこの脱出事件は、日・朝間の重大な外交問題として相変わらず残っていた。 

しかも朝鮮としては、日本との交隣に関する問題でもあった。それは、日本のキリスト教禁制政策に対する強助要請に応じて、1644年以降は疑わしい異国船が漂着した場合には倭舘に知らせるようにという約束を履行しなかったためである。 

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