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ハメル一行が五島の摩村に漂着した後、日本側がどのような処理をしたのかを日本の「阿蘭陀人朝鮮江漂着之一件」を見てみると、ハメル一行は五島に漂着してすぐに当時の五島藩の藩主である盛勝の叔父である五嶋盛C(=五嶋民部)により、長崎奉行に送られたことがわかる。 

ハメルは報告書に、五島に漂着して4人目の官吏に出会ったと記述しているが、それはまさに五嶋民部を指すのである。 

五島に漂着した後、彼らは長崎に送還されるまでの3日間は、碇泊したままで、船上でも陸地でも厳重に監視された。 その後、ハメル一行は五島の?摩に漂着して、日本の一般的な漂着異国船処理方針により長崎奉行に連絡され、9月13日に日が昇ると同時に大型船舶2隻と小型船舶2隻に護衛され、夕方頃に長崎に到着した。 当時の日本は、異国船対策の一環として、日本国内に漂着したほぼ全ての船舶は長崎に移送され、そこで長崎奉行の調査を受けた。

「阿蘭陀人朝鮮江漂着之一件」

 

9月14日に、ハメル一行8名は長崎港に上陸し、オランダ東インド会社(VOC) の通訳士に迎えられた。

彼は一行に事件の終始を尋問し、それを記録した。そこで作成された調書が長崎奉行に手渡され、正午頃には奉行による尋問調査が実施された。  奉行は、「自由を求めてあんなに古びてボロボロの船で、茫々たる大海を渡り大冒険を敢行したことを高く評価した」とハメルは記述している。 

そして9月14日にハメル一行は、長崎のオランダ連合東インド会社の商館、即ち、人工島である出島に送られた。  そこに到着すると、Willem Volger商館長やNicolas de Roeij次席、そしてその他の職員たちから熱い歓迎ともてなしを受けた。

ついに、13年と28日間の多くの苦痛と危険、そして朝鮮での強制生活から解放されたのである。 

出島の様子

10月1日に、Willem Volger商館長は出島を発ち、同月の23日に7隻の船舶を率いて日本を出発した。しかし、ハメル一行は沈鬱に出発するのを見つめることしかできなかった。それは、彼らに対する日本政府の調査がまだ終わっていないので、長崎奉行がハメルにもう1年は日本にいなければならないと命令を下したからであった。

 

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