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朝鮮を脱出するのに成功したハメル一行の8名は、1666年9月5日には朝鮮人たちが追撃するのを恐れて、船の帆が目に付かないように帆を下ろして櫓を漕いで航海を始めた。  夕方頃には西風が継続して吹くので狂いそうになったが、その時には、朝鮮領域の最も端の部分であったために、再び捕まるかも知れないという恐怖感からやっと抜け出すことができた。 

9月6日の午後に日本列島に属する島が1つ彼らの目に付いた。それは日本の九州地域の平?の近所であった。そこは、以前にオランダの商館があった所でもあり、1666年当時には長崎の出島という人工島にオランダの商館があった。  その日の夕方は、先ず島が見える所にまで行って、島の西海岸に碇泊した。

  9月7日には風向きが続けて変わる中で、一行はいくつかの島々が列をなして伸びている所にいるということを知り、彼らはその列島に沿い航海を続けた。 

その日の夜は航海を続けたが、9月8日もやはり昨日の夜と同じ時点であった。潮水の影響で同じ所をぐるぐると回っていたのである。  その列島を抜け出そうと海側に突進したが、強風によりある湾に入って帆を下ろした。そこがどこなのかもわからないままに、食事をするしかなかった。

船に乗って通り過ぎる住民たちが時々見えてはいたが、彼らはハメル一行にあまり気を使っているようには見えなかった。  夕方頃に、湾に6名の武士を乗せた船が1隻見えた。ハメル一行は、それを見て再び海の方に逃げようとしたが、結局は彼らに捕まってしまった。 

 その時一行は、彼らが話に聞いていた日本人と姿が似ているということを悟り、準備してきたオランダの旗を日本人に見せ、「オランダ、長崎」と叫んだ。 

ハメル一行が湾に到着した事件で海岸一帯は慌ただしくなり、多くの人々が押し掛けて来た。 

ハメルは、人々は皆、横腹に剣を1、2本くらい差していた、とその時の状況を記述しているが、彼らはまさに侍であったのだ。当時の日本では、一般の庶民たちは刀を横腹に差すことはできなく、侍だけが横腹に刀を2本差す権限があった。それは、侍というの支配層の特権であったのである。

では、ハメル一行が到着した所はどこなのであろうか? 

『ハメルの報告書』には、五島とだけ記述されている。

しかし、日本国会図書館に所蔵されている『分類紀事大綱』の33巻の「阿蘭陀人朝鮮江漂着之一件」には、「オランダ人は朝鮮国に12~13年以前に漂着し、そこで捕まっていたが、その中の8名が五嶋(=五島)に逃げてきた。(阿蘭陀人朝鮮國江十二三年以前ニ漂着仕候を召捕置候, 其?八人上五嶋へ缺落仕?候)」という記録されているので、一行は五島列島の最も北側に位置する「上五島」に漂着したということがわかる。

その上、著者未詳の『日記』(自ェ永十年五月至寶永午年十二月、長崎県立図書館に所蔵)という史料には、ハメルなどの8名の脱走者たちは、上五島領内の 「奈摩」という村に到着したと記録されている。

現在そこは日本の行政区域で、長崎縣南松浦郡上五島町方クに属している。

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