Untitled Document

 

 

   
 
HOME > ハメル情報館 > 全羅兵營生活 > 逃走生活と?出



1662年3月に、ハメル一行は全羅兵使に今までの好意と親切に対するお礼をして、各々割り当てられた麗水(ヨス)左水營、順天(スンチョン)、南原(ナモン)地域に出発した。順天と麗水左水營に向かう人員たちは同じ方向の道を行った。  初日の夕方にはある村に到着して休み、4日目に順天に到着した。 

そこで順天に留まる5名を除いた人員は、その翌日に再び出発した。移動期間中は、ずっと倉庫で夜を過ごさなければならなかった、とハメルは記述している。 

  その翌日、早朝に出発して午前9時頃には麗水左水營に到着した。 

一行はすぐに全羅左水使に引き継がれ、彼らには家具が備わっている1件の家が与えられ、また以前に受けていた手当てが支給された。  彼らが到着した当時の気がよく温和な全羅左水使は、一行が到着した2日後に他の所に移った。 

彼が発った3日後に新しい左水使が到着したが、運なく彼は親切でも気のよい人でもなかった。なぜならば、ハメル一行をギラギラと照りつける日差しの中や、大雨やあられの降る冬にも朝から晩まで1日中待機させたからである。 

 一方麗水では、冬が近づいても凶作で、彼らが持っていた物は着る服しかなかった。しかし、他の2ヶ所の順天と南原にいる人々は、そこの収穫が多かったので衣類を購入することができた。 

麗水にいたハメル一行はそのような事実を話したため、一行中の半分は3日間の外出許可を得た。また、15日から30日間の外出もできたとハメルは記述している。 

 1664年にハメル一行は新しい左水使を迎えたが、以前の左水使とは違い、一行を全ての賦役から解放させてくれただけではなく、順天と南原にいる一行がしているだけの仕事をするようにと指示した。 

また、その左水使は、1ヶ月に2回の検閲を受けること以外には外出も許可した。この時の左水使についてハメルは、「よい人を赴任させてくださったことに対して、私たちは全知全能の神に感謝した」と記述している。

 以前よりは彼らに対する監視も緩んだために、彼らは船を購入するために全力を傾け始めた。 

1665年になり、この時も同様に彼らに困難はあったが、やっと小さな渡船を1隻購入することができ、非常食を備蓄できるようになった。彼らはその船を利用して麗水周辺の島々に行き来しながら周辺を探った。 

『ハメルの報告書』から麗水生活での面白い朝鮮時代の暗行御史の活動を知ることができる。 

 1666年の初旬に、新しい左水使が赴任してきたが、彼は以前の悪徳な官吏と同様で、ハメル一行にあらゆる雑用と労役をさせた。 

しかし、ハメル一行に幸なことが生じた。

麗水での水軍の訓練中に、砲手の不注意で弾薬の箱に火が付き5名の死傷者が出たのである。 

左水使はこの突発事故を隠そうとしたが、王の側近者であり、また同時に全国津々浦々を回りながら暗暗裏に地方の事情を探知して回る者、即ち、暗行御史に発覚されたのである。 

 1666年7月に新しい左水使が赴任されたが、同様に賦役と雑用をさせ、彼らは苦痛から逃れることはできなかった。 

しかし幸にも、彼らは以前よりも更に多くの資金を集めることができた。 

そしてついに、付近の漁師から船を1隻購入することができ、その漁師の友人に代金を支払って船を引き受けた。  しかし、その船を売った者がハメル一行が船を買ったということを知り、船を返せと意地を張った。万一、ハメル一行が逃亡しようと思って船を購入したのならば、船を売った自分は殺されてしまうと言うのである。  一行は彼の話も当っていると思ってはいたが、安心しろと言い聞かせて、結局は2倍の支払いをして船を購入した。 

 一行は、すぐに脱出に必要な準備作業に着手した。 

脱出に最も相応しい時期は、新しい節気、即ち、陰暦の9月8日の白露の翌月を予定した。 

 一方、時を合わせて麗水を訪ねてきた順天のMatheus IbockenとCornelis Dirckszに、脱出計画を説明すると同時に、順天にいる航海術が優れるJan Pieterseも呼び出すことにした。彼を呼び出すために順天まで行ったが、彼は南原に外出しておりいなく、彼らは南原まで行ってJan Pieterseを連れてきた。

ついに9月4日には脱出のための万般の準備が終わり、その日の夕方に楽しく遊びに行くふりをして暇あるごとに米や水、鍋、そしてその他の航海に必要なものを準備して置いた脱出用の船に積んだ。 

日が暮れるのを待ち、引き潮が満ち潮となる前に脱出を敢行した。そして付近の島で水を得た後に帆を上げ湾を抜け出した。 

 1653年8月15日から16日の早朝に36名が漂着し、1666年9月4日に朝鮮を脱出するまで、いつの間にか13年上の歳月が流れていた。 

しかし、この時に脱出した人々は、ハメルを含めた8名だけであり、まだ朝鮮に彼らの同僚たちが南原に3名、順天に3名、麗水に2名の総8名が残っていた。

Untitled Document
Untitled Document