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HOME > ハメル情報館 > 漂着と濟州生活 > ソウルまでの移動



ハメル一行が済州島を出発したのは、1954年6月の初旬である。  彼らにソウル移送決定が下された背景には、一行が済州島に漂着した当時に済州島の牧師であった李元鎭(イ・ウォンジン)の孝宗(ヒョチョン)への進言があった。 

李元鎭は、ハメル一行が漂着した当時から親切で友好的に対応したが、ハメル一行が漂着してすぐに牧師の任期が修了し、その後すぐに中央の右承旨となりソウルに上京した。 

彼は、済州牧師の在任期間中にハメル一行に対して友好的に対応したが、朝廷の官職に就いた後にも彼らの救済問題について深い関心を持っていた。  ハメル一行が漂着してから約7ヶ月が過ぎた1654年2月24日に、最終的に彼らに対する処置が決定されたのである。

ソウル移送の決定により、ハメルは済州島を6月の初め頃に発ち、夕方近くに陸地に到着して船で夜を過ごして翌日の朝に陸地に護送された。 

その翌日には、海南(ナメ・原文:Heijnam)に到着して他の船に乗船していた一行たちに出会った。 

その翌日には再び出発して霊岩(ヨンアム・原文:Ieham)に到着したが、一行中の1人のPoulus Janse Coolが漂着した当時の負傷のために死亡し、ハメル一行は総35名となった。一行の参拝の中で死亡者を埋蔵して再び出発し、夕方には羅州(ナジュ・原文:Naedjoo)に到着した。

またその翌日の朝に出発して長城(チャンソン・原文:Sansiangh)に到着した。 

その翌日の朝には長城を出発してイバン山城(Jipamsansiang)という大きな山城を越え、井邑(チョンウップ・原文:Tiongop)で旅装を解き、翌日に太仁(テイン・??:Teijn)に到着した。 

そしてその翌日の朝方に、再び馬に乗って出発して午後には?溝(クムジュ・原文:Kumge)に到着し、昼食を取って再び出発して夜に全州(チョンジュ・原文:Chentio)に到着した。『ハメルの報告書』には全州について、以前は王国の首都であったが今は全羅道(チョンラド・原文:THiellado)監事が駐在する古い都市であると記述されている。 

その翌日には、全州を出発して夕方に?山(ヨサン・原文:Jesaen)に到着したが、ハメルは?山を全羅道の最後の都市であると記述している。

その翌日の朝には、?山から馬に乗って移動し忠C道(チュンチョンド・原文:Tiongsiangdo)内の恩津(ウンジン・原文:Gunjin)で旅装を解き、その翌日には連山(ヨンサン・原文:Jensaen)で休み、その翌日に忠C監事の官庁があった公州(コンジュ・原文:Congtio)に到着した。 

再びその翌日には、大きな川を渡り京畿道(原文:Senggado)に到着し、再び数日後に大きな川、即ち漢江(ハンガン)を渡りソウルに到着した。

 

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