Untitled Document

 

 

   
 
HOME > ハメル情報館 > 漂着と濟州生活 > 濟州生活



ハメルは、済州島で李元鎭(イ・ウォンジン)牧師の尋問を受けた後に、彼に対するよい印象を記述している。


牧師の李元鎭は、とつもよい人で理解心があり、ソウル出身の70くらいの年齢で、朝鮮の国王、即ち孝宗が厚く信望している人であると記述している。 

実際に李元鎭は、異国の地に漂着したハメル一行に温かい慰労の言葉を伝え、また食糧を支給すると同時に毎日交代で6名ずつ外出できる機会まで与えていた。 

その上、李元鎭はハメル一行と対話する時間をよく設けたので、後には身ぶり手ぶりとカタコトな言葉である程度の意思疏通ができるようになった。 

それくらい李元鎭は、ハメル一行には敵対的な人物ではなく援助者としての役割を果たしたのである。 

しかし、李元鎭の絶対的な援助は、新しい牧師が派遣されて状況が完全に変わったのである。12月の初旬頃に李元鎭は3年の任期が満了してソウルに上京した。 

李元鎭は出発する前に、コートと靴下、そして靴を1足ずつ支給しながら、寒さを忍ぶようにと激励し、また押収したハメル一行の多くの本を返したりもした。 

そして、ソウルからきた通訳者の朴淵(パク・ヨン)を通じて、日本に行かせられずに非常に残念であるという気持ちを伝え、またソウルに行って一行の釈放やソウルに上京できるように努力するという約束もした。 

ハメルの記録によると、李元鎭は1654年1月の初めに済州島を出発したと記述されている。

新しく赴任した済州牧師の蘇東道(ソ・トンド)のハメル一行に対する待遇は、残酷そのものであった。 

赴任してすぐに一行の副食物を全て押収したので、彼らはご飯と塩で食事を取らなければなかった。また、李元鎭牧師が済州島を出発してからは、米の代りに麦、小麦粉の代りに麦粉が支給され、副食は全く支給されなかった。 

そのような状況の中で彼らは恐怖感を覚え、その結果、6名が以前から睨んでいた船を盗んで逃げ出す計画を立てたのである。1654年4月の末に脱出するチャンスを得たが、犬が吠えたために警備が厳しくなり放棄するしかなかった。 

しかし、5月の初めに再びチャンスが来て、誰もいない船に6名が乗って逃げ出した。しかし、これもやはり成功できなかった。なぜならば、船に水が入り込み航海できなくなったからである。 

仕方なく逮捕された彼らは、共謀者を探し出すための厳格な尋問を受け、脱出者たちは25回ずつ棒で打たれて1ヶ月くらいはその痛みで動けなかったという。 

そして、一行は外出が全面禁止され、厳しい監視を受けた。

ついにハメル一行が待ちに待った国王の命令書が1954年5月の末に到着した。その命令はソウルへの上京であった。 

しかし、悲惨な済州島での生活を終えられるので嬉しくもあると記述している。 

 6~7日後に4隻の船に分かれて乗船したが、両足首と片手には錠がかけられたままであった。なぜならば、監視が不十分なことを利用しての脱出を防ぐためであった。 

2日間そのような状態で乗船したが、天候がよくなくて宿泊所に戻り、その4~5日後に再び出発した。結局ハメル一行が済州島を出発したのは、1954年6月の初めであった。

 

Untitled Document
Untitled Document