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1653年の8月15日から16日の早朝に、ハメル一行はSperwer号に乗船して日本に向かう途中で激しい嵐に遇い済州島に漂着した。 

では、ハメル一行は済州島のどこに漂着したのであろうか?

今まで多くの先学たちによりハメルの漂着地が推定されてきたが、その地域と見解を分類すると大略的に @ ハメルの記念碑の周辺地域の漂着説 A 中文海岸の漂着説 B 江?海岸の漂着説 C 大也水沿辺の漂着説 D 中国の漂着説などに分けられる。

現在、済州島の龍頭海岸際にハメル一行の済州島漂着を記念するための碑が立てられてはいるが、ハメルが漂着した所であると断定することはできない。

最近、学者たちの間では、『地瀛?』という史料に収録されている「西洋國漂人記」の「大也水沿辺」に漂着したという内容を根拠に、ハメル一行は済州島の 「大也水沿辺」に漂着したと意見をまとめている。

「......64名が乗った1隻の船が、大静県地方の遮帰鎭下の大也水沿辺で砕けた......」

では、大也水沿辺はどこであろうか?

水月峰の南側の海岸沿いから南済州と北済州を境界とする河川「コセムイネ」付近までであると判断された。そこは大也水の沿辺で、クンムルまたはテムルと呼ばれる海岸沿いであるからである。このような事実は、『南槎録』の記録で大也水から大静県までの13.5Kmという距離ともほぼ一致する。

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