Untitled Document

 

 

   
 
HOME > ハメル情報館 > ハメルの報告書 > 筆寫本の由來




『ハメルの報告書』 は、ヘンドリック・ハメルを始めとする36名が、朝鮮に漂着してから、ハメルを含む8名が1666年に日本に脱出して長崎のオランダ商館に到着し、そこから長崎を出発する時までの記録である。 

記録者は、当時済州島に難破したSperwer号の書記を担当していたヘンドリック・ハメルで、13年以上の朝鮮での滞在経験と朝鮮に関する情報を整理したものである。 

『ハメルの報告書』は、17世紀の朝鮮の政治・経済・外交・社会・文化などの多方面に渡って記述されており、その史料的な価値は評価することができないくらい貴重なものである。

現在に至るまで、この記録は韓国では『ハメル漂流記』、日本では『朝鮮幽囚記』と呼ばれてきたが、一般的には『ハメル漂流記』として通用してきた。 それは、1934年に韓国で初めて李丙Z(イ・ピョンド)氏が『震壇学報』に『ハメルの報告書』を翻訳・連載して、『ハメル漂流記』と命名したためである。

日本では、1961年に生田滋氏がこの記録を『朝鮮幽囚記』と命名したのが最初である。 

その他には、1994年からジャン・ポール・バイズにより『ハメルの日誌』という名称も使用されたが、これらの名称は翻訳者の主観的な見解によるもので、誰でもが自分の意思で命名して使用することができる。 

しかし、ハメルの記録それ自体のタイトルと、それを書いた目的を考えてみると、オランダ連合東インド会社のビタビア総督と、東インド会社の評議員たちに送った公式的な報告書であるということに重要性を置かなければならない。 

また、最近のハメルに関連する研究が、朝鮮とオランダの関係のみならず、日本を含む東アジアの国際関係史の中での新しい研究として開始され、『ハメルの報告書』という名称が一般化されている。 

そして、『ハメルの報告書』と呼ばなければならないもう1つの理由は、この報告書がハメル一行にとっては朝鮮に長期間滞在して、東インド会社から受け取れなかった給料を請求するための重要な証拠でもあったという点である。また同時に、彼らが朝鮮滞在期間中に朝鮮の情勢と情報をオランダに伝えるために記録した、詳細な観察報告書としての性格をも持っているが、それはハメル一行がVOCの一員として、その役割と会社のための業務に忠実であったということを立証するための資料としての価値もあるからである。 

記録には、朝鮮滞在の13年以上の間の路程と事件について、日時と時間までもほぼ正確に記録されており、朝鮮滞在期間中にある程度の状況に対する記録を継続的に記録していたものと見られる。

このように作成された『ハメルの報告書』は、1668年にアムステルダムで出版され、続けてフランス語・ドイツ語・英語版に翻訳・出版され、ヨーロッパの全地域に広く伝えられた。

Untitled Document
Untitled Document