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2003年は、ハメルが済州島に漂着して350周年の年であった。 

オランダ大使館は2003年を「ハメルの年」と定め、オランダに関連する各種の展示会と文化行事及び公演を始めとして、南済州郡のハメル展示館の建立、康津(カンジン)のオランダ村建立計画、そして『ハメル漂流記』の映画制作などを計画し、ハメルの済州島漂着350周年を記念して、国内外では韓国とオランダの歴史的な関係に対する関心度が非常に高まった。

勿論、それには「2002日韓ワールドカップ」の時にオランダ出身のヒディンク監督の指揮の下で、韓国の太極戦士たちがワールドカップ4強進出という非常に大きな業績を成し遂げたことも、オランダという国家の認識度を高めさせ、更にハメルの朝鮮漂着という歴史的な事実を浮き立たせたりもした。 

では、韓国とオランダ、即ち、当時の朝鮮とオランダの関係はいつから始まったのだろうか? 

多くの人々がオランダとの関係を考える時に、ハメルを思い浮かべる。 
広く伝わっている事実ではあるが、ハメル以前にもオランダとの関係はあった。1627年に朝鮮に漂着し、朴淵(朴燕、パク・ヨン)という朝鮮名を持ち、朝鮮の女性と結婚して朝鮮人として一生を終えたオランダ人のWeltevreeの例もある。 

しかし、朝鮮とオランダの関係が1627年の朴淵の漂着により始まったと評価することはできない。
 

実際にオランダでは、既に1609年に日本の平?に貿易商館を設置しながら朝鮮との貿易も計画していたが、この点は韓国史のみならずオランダと日本を含む国際関係史という側面でも重要な意味を持つ。 

なぜならば、1610年11月3日に、初代の日本の平戸商館長であったジャック・スペクスが本国のVOCの「17人委員会」宛に、朝鮮貿易の重要性について書いた手紙を送っており、45日後にはMauritz王子が1609年の日本とオランダの貿易通商についての日本側の許可に対する返事を送っていたからである。 


従って、朝鮮とオランダの関係の始まりは、ハメルが済州島に漂着した1653年からではなく、それ以前の1610年から始まったと見ることができる。

また、韓国に対しても『ハメルの報告書』(ハメル漂流記)を通じて初めて西洋に伝えられたと言うよりも、それ以前に、既に宣教師や日本を通じて朝鮮に関する相当な知識を持っていたと言える。

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