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オランダ連合東インド会社(Vereenighde Oost-Indische Compagnie=VOC)は、一般的にオランダ東インド会社(Dutch East lndia Company)と呼ばれている。

  オランダは、1602年に国家の主導の下に統合された会社、即ち、世界最初の株式会社といえるオランダ連合東インド会社(VOC)を創立した。 

元々、東インド会社という言葉は、一種の植民地の経営のために特許を受けていた会社で、1600年のイギリス東インド会社と、1664年に設立されたフランス東インド会社が世界史に名を残している。



オランダ連合東インド会社、即ちVOCは、政府から対外貿易の独占権を与えられて、外国との条約締結及び軍隊の編成、管理の任命などに対する権限を持ち、いわゆる政治・経済・軍事権を持つ権力集団であった。一言で言えば、オランダがVOCで、VOCがオランダ人の一種の会社国家であったのである。

 VOCは、様々な会社が連合して合併した組織体であるということはその名称でわかるが、合併前の会社の規模のより6つの支部に分かれて存続され、その中で最も大きい規模の支部がアムステルダムにあった。

重役陣は初めは73名で構成されたが、後に60名になり、その上に「17人委員会(Heeren ]?)」と呼ばれる重役委員会が会社の最終決定を担当した。

ハメルが帰国して朝鮮に滞在した13年以上の間の賃金の支払い要請をした時にも、「17人委員会」で決定を下した。 

当時のヨーロッパ諸国は、重商主義と政策の下で、アジアの商品を独占するための生産地確保のための植民地争奪戦に積極的に参与していた。VOCも同様であり、特に東南アジアの香料と仲介貿易を独占するために、喜望峰(Cape of Good Hope)から台湾に至るまでの広範囲な地域に渡って拠点を確保するために余念がなかった。

従ってVOCは、ジャバ島のバタビア(ジャカルタ)に根拠地を作りポルトガルと競争する一方、1609年には日本の平?にオランダ貿易商館(1641年には出島に移転)を設置したのである。 

特に、日本を始めとするアジアの様々な地域でイギリスとの貿易競争に優勢となり、アジアに対する貿易権を先占して17世紀の中期にはVOC最大の黄金期を迎えた。 

しかし、VOCの貿易の進出と世界各地での植民地経営は失敗に終わった。アジア進出の最大の橋頭堡であったバタビアの商館が、ジャバの現地民の反抗と行政腐敗による非能率のために成果を得ることができず、本国の「17人委員会」も特別な会社の改革を成せなかったためである。 

その上、一時はヨーロッパの他の国よりも進んだ植民地王国であったが、市場と商品の確保ができなくなって貿易赤字を出すようになった。その後、イギリスからも圧迫を受けるようになって、植民地の経営と貿易の進出が困難となり、結局は1800年に入って解散した。







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