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17世紀に,思いがけない嵐に遭いSperwer が座礁して濟州島に漂流したハメル一行が,朝鮮で生活した13年と28日間の足跡を言う.


済州島 - 海南 - 霊岩 - 羅州/長城/井邑/泰仁 - ?溝/全州/?山 - 恩津/連山/公州 - ソウル - 康津 - 霊水/南原/順天

1653年8月16日の早朝に済州島の大也水(テヤス)のほとりに漂着したハメル一行は、8月18日に発見されて済州牧使から調査を受けてソウルに移送されるまで済州島で生活した。

1654年5月の末に、国王からハメル一行の処理問題に対する返信が届いたが、それはソウルに送還しろとの内容であった。

そして、10余日後に順風に乗じて船に乗って済州島を発った。

最初に到着した所は海南(ヘナム)であり、霊岩(ヨンアム)、羅州(ナジュ)、長城(チャンソン)、笠岩山城(イバムサンソン)、井邑(チョンウッ)、泰仁(テイン)、?溝(クムジュ)、全州(チョンジュ)、?山(ヨサン)、恩津(ウンジン)、連山(ヨンサン)、公州(コンジュ)を経て都城があるソウルに到着した。

1655年3月に孝宗の親衛兵となり、訓練都監で勤務したハメル一行中のHendrik JanseとHendrik Janse Bosが、清の使臣の行列の前で自分たちの立場を嘆願する騒動が起った。

それを契機に、1656年3月の初旬に全羅兵営がある康津(カンジン)に移送され、7年以上の配流生活をした。

1663年2月の末に、引き続く凶年で食糧が不足して、ハメル一行は左水営がある霊水(ヨス)に12名、順天(スンチョン)に5名、南原(ナモン)に5名と割り当てられて分散配置された。

1666年9月4日に、一行中の8名が時あるごとに準備してきた脱出に成功し、日本の長崎に行き、1年後にバタビアに帰港した。

ハメル一行は、13年と28日間を朝鮮で暮らした。 

その後、朝鮮生活の経験は「ハメル漂流記」として記録されて、ヨーロッパの全域に未知の国「コリア」を伝えるきっかけとなった。








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